十三、「颯秣建(サマルカンド)国への行程」

三蔵法師は可汗と別れてから西方へ向け足袋を出発したのでした。
可汗の処から四百余里進んで、屏聿(びょういつ)に至り、ここは、千泉((せんせん)西トルクメニスタンのメルケ村の付近)という場所であった。
千泉地方は数百里にわたり、沼や池が多く、奇木も豊かに生い茂っていた。
森が深く涼しいところで、ここは可汗の避暑地になってゐた場所であったのです。

屏聿から西行すること百五十里でタラス城(現在のジャンブル)に至り、また、西南へ二百里で白水城(チムケント東方十五キロのサイラム)に至ったのでした。
また、西南へ二百里進んで恭御(きょうぎょ)城に至り、また、南へ五十里でヌチケン国(チルチク河岸のチルチク)に至ったのでした。
国の西は葉葉(ようよう)河(ヤグザルテス河、今のシル河)に臨んでいましたが、この河は葱嶺(パミール)の北方を流れ出て、西北に流れていたのでした。

また、西北に進むと大砂漠に入ったのでした。
水草もなく、砂漠に散在する遺骨が望まれるばかりの所でした。
その後、五百余里で颯秣建(サマルカンド)国(唐では康国といった)に到着したのでした。
ここでは仏教を信仰しておらずゾロアスター教が信仰されているのでした。

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