十六、「覩貨羅(トカラ)国での滞在」

山道は高山に囲まれて、崖には鉄鉱が豊富にあり、これによって門扉が作られたわけですが、また、その門にはたくさんの鉄製の鈴がぶら下がっていたのでした。
そのことにより、ここは人々に鉄門と呼ばれ、そして、この鉄門は突厥の関門の場所となっていたのでした。

三蔵法師は難なく鉄門を通過すると、次に覩貨羅(トカラ)国(もとは吐火羅の訛り)に入ったのでありました。
更にこれより数百里にあるアム川(縛蒭河(ばくすうが))を渡って活(かつ)国(今のクンドゥズ)に至ったのでした。
ここは先に三蔵法師と仲が良くなった葉護可汗(ヤプカガン)の長男、「口篇に旦」度設(たんとシャド、設(シャド)は官名)が住んでいるところであったのでした。
そして、彼は高昌王の妹の聟(むこ)であったのでした。
三蔵法師は高昌王から彼に宛てた手紙を持って来ていたのでした。

ところが三蔵法師が活(かつ)国に到着した時には公主の可賀敦(かがとん(可賀敦は可敦とともに王妃の尊称))はすでに亡くなっていて、「口篇に旦」度設(たんとシャド)も病気にかかっている有様なのでした。

そこに三蔵法師が来たことを知り、二人は三蔵法師が高昌から携えてきた手紙を見て、三蔵法師も左右の男女と嗚咽が止まらないのでした。

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