十七、「活(かつ)国での滞在」

三蔵法師は、「口篇に旦」度設(たんとシャド、設(シャド)は官名)に、
「弟子(わたくし)は師とお会いして目があくようになりました。お願いですから、もう少しここで滞在してくれませんか。もし病が癒(なお)ったら、師を送って婆羅門(インド)国迄行きましょう」
と言った。
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

ちょうど三蔵法師の活国の滞在と時を同じくしてさらにもう一人の相がこの国へやってきたのでした。
彼は王のために呪文を唱え、そのお蔭によるのか、王の病気は癒されたのでしたその後まもなく、「口篇に旦」度設(たんとシャド)はまだうら若き妃を娶ったのでした。
ところが彼女は王の長男に頼まれて、夫を毒殺したのでした。
「口篇に旦」度設(たんとシャド)がした後、高昌の公主の男児はまだ幼かったので、長男が特勤(テギン(突厥の王または王弟の尊称))の位を奪い取り、即位して設(シャド)になり、うら若い妃を妻にしてしまったのでした。

三蔵法師は喪にあってしまったので、ここに一ヶ月滞在することになったのでした。

活国にはダルマサンガ(達磨僧伽)という僧がいました。
彼はインドに留学したこともあり、葱嶺(パミール)以西の諸国では法匠(ほうしょう)として尊敬されているのでした。

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