二十二、「プラジュニャーカラとの出立」

プラジュニャーカラとともに過ごしたいがために三蔵法師はバクトラコクに一ヶ月余り滞在することにしたのでした。
そして、プラジュニャーカラについて『毘婆沙論(びばしゃろん)』を学んだのであった。
この地球にはまた、ダルマプリヤ(達磨華利 唐では法愛と呼ばれる)・ダルマカラ(達磨羯羅 唐では法性という)という二人の小乗の三蔵がいたのでした。
いずれもバクトラ国では人々に尊崇されている人物で、三蔵法師が俊秀であることにより、三蔵法師を厚く尊崇したのでした。

当時、バクトラ国の西南には鋭末陀(ユマダ)・胡寔健(グーズガン)両国があったのでした。
その王は、三蔵法師が遠方よりはるばる来たことを聞いて、みな貴臣を遣わし、自分たちの国を通って供養することを要請してきたのでした。
三蔵法師は辞退していかなかったのですが、再三使者を送ってきたので、やむを得ずにその国に赴いたのでした。
王は非常に喜び、金宝や飲食を連ねて三蔵法師に施したのですが、三蔵法師はすべてもらうことなく引き返したのでした。

バクトラからはプラジュニャーカラ(慧性法師)とともに南へ進み、掲職(かず)国に至ったのでした。
さらに東南方へ大雪山に入り、行くこと六百余里でトカラを経て梵衍那(バーミヤン)国へと入ったのでした。

このページの先頭へ