三十六、「健陀邏(ガンダーラ)国へ」

一人は仏像は見られなかったが、その後も小一時間ばかりは仏像が見えたのであった。
人びとは仏への礼賛を述べて、花香を終える光が消えたので、一同はその窟から出たのでした。
三蔵法師を送ってきたバラモンは歓喜して、このように仏の臓が見えたのは未曽有のことだと歎じて、

「師のように至誠願力が深くなければ、このようには見えません」
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

と言ったのでした。

窟の周りにも聖跡がありましたが、それは『大唐西遊記』に述べられている通りです。
このようにして、人びとは一緒に帰ったが例の五人の山賊はみな刀や杖を壊して、三蔵法師の戒を受けたのでした。
そうして、三蔵法師と誤認は解かれたのでした。

こうして三蔵法師は再び一行と再会し、盗難に山道を進むこと五百余里、健陀邏(ガンダーラ)国に至ったのでした。
この国の東は信度(しんど)河(現在のインダス河)に臨み、都城は布路沙布羅(プルシャプラ)(今のペシャワール)という。

この国にはたくさんの聖賢がいて、古来論(経典に説かれた仏教の要儀を解釈したもの)を創った諸師、ナーラーヤナ(那羅延天)、アサンガ菩薩(無著(むじゃく))、ヴァスバンドゥ菩薩(世親)、ダルマトゥラータ(法救(ぼっく))、マノーラタ(如意)、パールシャヴァ(脇尊者(きょうそんじゃ))らは、皆この国に生を受けたものであったのでした。

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