四十一、「烏鐸迦漢荼(ウダカカンダ)城からタクシャシラー国へ」

マンガラ城の東北にも人びとが住んでいると聞いたので、山谷を踏み越えてシーター河(徒多河)を遡ったのでした。
道は大変に危険で命綱をつけて攀じ登りまた、高いつり橋を渡って、千余里ばかり進んで、達麗羅(ダレラ)川に至ったのでありました。
ここはウジャーナの旧都なのでした。
その渓谷中の大伽藍のそばに木彫りの慈氏菩薩像があったのでした。
誘の臓は金色に輝き高さは百余尺、マドゥヤンティカ(末田底加)阿羅漢の作でした彼は神通力より工匠を率いてトゥシタ天(覩史多天)に上り、親しく菩薩の妙相を観察させて、往復すること三度で出来上がったとのことでした。

三蔵法師はウダカカンダ城から南へインダス河を渡ったのでした。
川の広さは三、四里、流れきは極めて急流で、多くの毒龍や毒獣が潜んでいるとのことでした。
インドの紀宝や名花や舎利を持つ人がいると、その人が乗っている船は転覆してしまうということでした。
三蔵法師はこの河を渡ってタクシャシラー国(ギリシャ文献の所謂タキシラ、原注:インドの境です)に至ったのでした。

その城の北、十二、三里にストゥーパがあり、アショカ王か建てたもので、常に神光を放っているのでした。

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