四十二、「迦湿弥羅(カシュミーラ)国へ」

このストゥーパがあるところは、昔、チャンドラプラバ(戦達羅鉢刺婆、唐に月光という)という大国の王となり菩提を志して、頭を千回捨てた(菩薩行の一つ)所であったのでした。
この塔の側には、伽藍があり、その昔経部師クマーララータ(拘摩邏多、唐に童寿という)は、ここで衆論を作ったと言われている所です。

ここより東南方へ七百余里ゆくと、僧訶補羅(シムハブラ)国(北インドとの堺)がある所なのでした。
また、タクシャシラーの北界からインダス河を渡り、東南に二百余里ゆくと、大石門があったのでした。
ここは昔、マハーサットヴァ王子(摩訶薩?、餓虎捨身本生(がこしゃしんほんじょう))が、身を捨てて飢えた烏択(うと)(虎の意)の七子に喰わしめた所であったのでした。
その地は、先に王子の血のために染められ、今も尚、草木も赤味を帯びているとのことでした。

三蔵法師はここから東南へ山道をゆくこと五百余里で、烏刺叉(うらしゃ)国に至ったのでした。
また、三蔵法師は東方へ危険な道をよじ登り、鉄橋を渡ってゆくこと千余里で迦湿弥羅(カシュミーラ)国(今のカシュミール)に至ったのでした。
その都城は西方は大河に臨み、伽藍百カ所、僧も五千余人いて、ストゥーパは四基あったのでした。

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