四十九、「盗賊に遭う」

ランパカ国から磔迦(タッカ)国の地方まで、インドでも辺境なところだったので、その風俗、衣服、言語などはいずれもややインドとは異なり鄙(ひな)びて何処か軽薄な感じがあるのでした。

ラージャプラ国を経て、三日後にチャンドラバーガ河(栴達羅婆伽河)を渡り、闍耶補羅(ジャヤプラ)城について外道の寺に泊まったのでした。
寺は当時、城の西門の外にあり、僧徒は二十数人であったのでした。

二日後、三蔵法師は、奢羯羅(シャーカラ)城(今のシアールコト)に着いたのでした。
城中には僧徒百余人がいる伽藍があったのでした。
ここは昔、世親(ヴァスバンドウ)菩薩が『勝義諦論(しょうぎたいろん)』を著したところであったのでした。
その傍らに高さ二百尺のストゥーパがあり、ここは過去四仏が説法をしたところであったのでした。
現に、その遺跡が残っているのでした。

ここから那羅僧訶(ナラシムハ)城の東方へ行き、パラーシャ(波羅奢)の大林の中に入ると、突然に五十余人の盗賊が現れたのでした。
賊は三蔵法師とその同行者の衣服や行資(こうし)をことごとく強奪していったのでした。
更に彼らは、刀を振るって一行を追い、道の南側の涸池(かれいけ)で一同を皆殺しにしようとしたのでした。

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