五十五、「秣兎羅(マトウラー)国へ」

ナガラダナ(那伽羅駄那)寺には大徳チャンドラヴァルマン(旃達羅伐摩、ここは月冑という)がいて、三蔵に精通していたのでした。
そこで三蔵法師は、ここにも四か月滞在して『衆事分毘婆沙(しゅじぶんぴばしゃ)』を学んだのでした。

その後、三蔵法師はここから東北方に険路を踏み越えて、七百余里進んで屈露多(クルータ)国(北インドの境、今のカングラのクルー地方)に至ったのでした。
クルータ国から南方へ七百余里、山を越えて、また、河を渡って設多図盧(シャタドウル)国(北インドの境、都城はサルヒンド)に至り、三蔵法師はさらに西南へ八百余里で、波理夜●「口篇に旦」羅(パールヤートラ)国(北インドの境)へねさらに三蔵法師は歩みを止めずに東方へ五百余里で、秣兎羅(マトウラー)国(中インドの境)に至ったのでありました。

ここ「兎羅(マトウラー)国には釈尊のもろもろの聖弟子や舎利子(シャーリプトラ)(仏の十弟子の随一)の遺身のストゥーパがたっていて、舎利子(しゃりし)、マウドゥガルヤーヤナ(没特伽羅子)などの塔があって、その塔は皆、現存していたのでした。
トラーヤニープトラ(●「口篇に旦」麗衍尼弗●「口篇に旦」羅、唐に満慈子という)、ウパーリ(優婆釐、持律第一)、アーナンダ、ラーフラ(羅怙羅、密行第一。以上六人はいずれも仏十大弟子)ならびにマンジュシュリー(曼殊室利、唐に妙吉祥という)などのもろもろのストゥーパは、毎年、祝祭の日に僧侶たちが仕える宗派に従って供養しているのでした。

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