五十八、「秣底補羅(マティプラ)国にて」

秣底補羅(マティプラ)国の王は、シュードラ種(戊陀羅種)で、この秣底補羅(マティプラ)国には伽藍が十余カ所、僧侶が八百余人いて、みんな小乗の一切有部(いっさいうぶ)を学んでいたのでした。

大城の南四、五里に小寺があって、そこには僧侶が五十余人いたのでした。
ここは昔、瞿拏鉢刺婆(グナプラバ)(唐に徳光という)論師が、『弁真(べんしん)』などの論述をおよそ百余部も作ったところなのでした。
論師はパルヴァタ国(鉢伐多国)の人で、はじめは大乗を学んでいましたが、のちに大乗から退いて小乗を学んだと言われています。
そのころ提婆犀那(デーヴァセーナ)(唐に天軍という)阿羅漢はトゥシタ天(覩史多天)に往来していたのでした。
グラプラバは弥勒菩薩(みろくぼさつ)に会ってもろもろの不明な点を明らかにしたいと思い、デーヴァセーナに神通力で天宮に引き上げて干してと請うたのでした。
そこで彼は弥勒菩薩に遭うことはできましたが、手を挙げただけで挨拶もせずに、

「私は出家し具戒したのに、弥勒菩薩は天にいて俗人に同じである。礼敬(らいきょう)すべきでない」
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

と言っていたのでした。

このようにして彼は三度、トゥシタ天に往来しましたが、一度たりとも弥勒菩薩に礼拝をしなかったのでした。

グラプラバ論師はこのように慢心がたかかったので、なかなか疑問が解けないのでした。

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