六十二、「カピタカ城寺院内にの宝階」

この宝階は昔、釈尊が●「りっしん篇に刀」利天(とうりてん)(三十三天の意、須弥山の頂上)でマーヤー(摩耶、釈尊の母)夫人(ぶじん)のために法を説いてインド(贍部州、須弥山の南の大州)に帰って天下り給うたところだということです。
宝階は中央は黄金製、左は水精(すいしょう)製、右は白銀製でした。
釈尊は●「りっしん篇に刀」利天の善法堂からもろもろの天人を率いて中央の宝階に降り給うたのでした。
大梵天王(だいぼんてんおう)は白い仏子(ほっす)をとって、銀の宝階を踏んで右におり、天帝釈(てんていしゃく)は宝蓋(ほうがい)をもち水精の宝階を踏んで左におり、このとき百千の天人、もろもろの菩薩がつき従っていたということでした。

この宝階には、数百年前にはまだ階段があったということですが、今は全て壊れてしまっているのでした。
後世の王が昔を慕い、煉瓦や石を重ねて、首の形をまねて雑宝を飾り付けたのでした。
いま、その高さは、七十余尺あります。宝階の上に精舎を造り、その中に石造をおき、その左右に梵天、帝釈の像があり、ともに釈尊降臨の義にならい、その面影が明らかにされているのでした。

傍らには高さ、七丈の石柱があり、それはアショカ王が建てた物だとのことでした。
この脇に医師の基壇(きだん)があり、長さ、五十余歩、高さ、七尺、釈尊がその昔立ち寄られたところであったということでした。

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