六十三、「羯若鞠闍(カンヤークブジャ)国と羯邏拏蘇伐刺那(カルナスヴァルナ)国」

マティブラ国の宝階から二百里ゆくと、羯若鞠闍(カンヤークブジャ)国(唐に曲女城という。中インドである)であったのでした。
国の周囲は四千里あり、都城は西方のガンガー河に臨み長さ、二十余里、広さ、五、六里、城内に伽藍が百余所あり、僧徒は万余人で、小乗、大乗をともに学んでいたのでした。

その王はヴァイシャ(吠奢種)で、名はハルシャヴァルダナ(曷利沙伐弾那、唐に喜増という。戒日王ともいう)、父の名はプラバーカヴァルダナ(波羅羯邏伐弾那、唐に作〈光〉増という)長男の名はラージャヴァルダナ(遏邏闍伐弾那、唐に王増という)と言ったのでした。
はじめラージャヴァルダナ王は仁慈の君として国の人に愛されていたのでした。

それと時を同じくして、東インドの羯邏拏蘇伐刺那(カルナスヴァルナ)国(唐に金耳という)のシャシャーンカ王(設賞迦王、唐に同上という)は、ラージャヴァルダヤ王が有能でしばしば侵略するのを憎み、密かにラージャヴァネダナ王を謀って謀殺したのでした。

カンヤークブジャ国の大臣、バンデイ(婆泥、唐に明了という)や群臣らは君主のいないのを悲しみ、ともにその弟シーラディトヤ(尸羅阿迭多、唐に戒日という)を立てて王家を継がせたのでした。
王は雄姿、人に秀でて謀略は広遠であり、徳は天地を動かし、義は人神を感じさせるほどであったという。

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