七、「屈支(クチャ)国からの出立」

しかし、三蔵法師が屈支(クチャ)国から出発しようとしても、凌山((りょうざん)ペダル峠)の雪道はまだ通れる浄得体ではなかったので、三蔵法師は、なかなか出発することができなかったのでした。
それからクチャに留まること六十余日、三蔵法師は、クチャを観光したり、時々寺に赴いては対話の席についたりしていたのですが、グプタは三蔵法師の顔を見ても席にはつかず、さも用事があるといった様子で立って行ってしまったり、三蔵法師を裂けるようにしていたりしていたのですが、グプタは三蔵法師に知られることなく密かにこう言っていたのです。

「この支那僧は俊敏で応対しがたい人である。たとえインドへいっても、あのようなすばらしい若者はかならずいないであろう」
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

こんな具合に、グプタは三蔵法師を畏敬の念を込めて眺めていたのでした。

とうとう出発の日がやって来ました。
三蔵法師が出発の日になると、王は、人夫(じんぷ)やラクダ・馬を支給し、道俗の堺もなく町中の皆が三蔵法師を見送ってくれたのでした。
これより西行すること二日、突厥(とっけつ)の盗賊二千余騎にあったのでした。

しかし、その賊はあらかじめ、ともに度人から奪ったものの分け前のことでいさかいになり、何にも取らずにどこかへ行ってしまったのでした。

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