九、「突厥(とっけつ)の葉護可汗(ヤプクカガン)」

山路を超えてから三蔵法師一行は、一つの清地((せいち)今のイシック・クル)にたどり着いたのでした。
この湖の周囲は千四百、五百里で、東西に長くて南北に狭い形をしていました。
遠望すると広々とした眺望が望まれ、烈風が吹かなくても湖面には荒波が立っていました。

湖岸伝いに西北に五百余里進んで素葉(スイアプ)城(今のトクマク南郊)に至って、突厥(とっけつ)の葉護可汗(ヤプクカガン)にあったのでした。
可汗はその時、ちょうど狩猟に行くところで、多数の兵馬を備えていました。
可汗は緑色の綾(あやぎぬ)の上衣を着、頭髪は長さ一丈ほどもあり、絹で額を包んで後ろに垂らしていたのでした。

達官((タルカン)突厥の官号、達干も同じ)二百余人が、皆、錦の着物を付け編髪(へんぱつ)の格好をして可汗の周りを取り囲んでいたのでした。
そのほかの軍兵は、皆、毛織物や皮衣で、矛(ほこ)や旗・弓などをもって、ラクダや馬に乗った人びとは皆、見わたせるほどにたくさんいたのでした。

そこで、三蔵法師が可汗を訪ねると可汗は大いに喜んで、
「私はこれからある所に狩に行きますが、二、三日で帰ります。師はどうかしばらく衙帳(がちょう)でお待ちください」
と言い、達官の答摩支(タマチ)をつけて、三蔵法師一行を衙帳に休ませたのでした。

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