十、「室羅伐悉底(シュラーヴァスティ)国 一」

室羅伐悉底(シュラーヴァスティ)国の周囲は六千余里、伽藍は数百、僧徒は数千人いて、ともに正量部(そんりょうぶ)を学んでいるのでした。
ここは仏が在世の時、鉢羅斯恃多(プラセーナジット王(唐に勝軍という)が都にしたところでした。

城内には王殿の遺跡があり、その東にも旧跡があって、その上にはストゥーパがたっているのでした。
ここはプラセーナジット王が如来のための大聖堂を作った所なのでした。

その隣の塔は、釈尊の乳母プラジャーパティー(鉢羅闍鉢底、唐に生主という比丘尼(びくに)の精舎であったのでした。

その塔の東の塔は蘇達多(スダッタ)(唐に楽施という)の邸跡(やしきあと)であったのでした。
邸のそばには大きなストゥーパがあって、これはアングリマーラ(鴦?利摩羅)が悪行を棄てたところなのでした。

城の南五、六里に逝多(ジェータ)林(唐に勝林という)があったのでした。
すなわちここが給孤独園(祇園精舎)で、昔は伽藍があったのですが、今はすっかりと崩れているのでした。
東門の左右には各々石柱があり、高さは七十余尺でアショカ王が建てたものなのでした。
すべての建物は請われていて、煉瓦(れんが)製の室が一つあるのみなのでした。

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