十六、「釈尊の涅槃、そして、バラーナシー国へ」

如来の涅槃(ねはん)像のかたわらには大ストゥーパがあり、高さ、二百余尺でアショカ王が造ったものなのでした。
また、仏涅槃(ぶつねはん)の事跡(じせき)を記した石柱がたっていたが、その作成された年月日は記されていなかったのでした。

伝説によれば、釈尊は此の世に八十年生き、吠舎●「人偏に去」(ヴァイシャーカ)月(インドの第二月で今の四―五ごろにあたる)の後半十五日に涅槃に入り給うたということでした。
すなわち、二月十五日に当たっていたのでした。
しかし、説一切有部は釈尊はカールティカ月(迦刺底迦月、インド第八月で今の八―九月にあたる)の後半に涅槃に入り給うたとしています。
これによると、九月八日に当たります。
涅槃から今日までは一説に千二百年、千三百年、あるいは、千五百年と言われていて、また、あるいは、九百年でまだ千年経っていないとも言われていたのでした。

また如来は金棺(きんかん)に座って母のために説法をし、臂(ひじ)を出して阿難(アーナンダ)に問い、足を現わして迦葉(カーシャバ)に示して、香木で遺体を焼き、八国の王が骨を分けあたいたことなどがみな塔に記されていたのでした。

ここからまた大きな林の中を五百里余り行くと、バラーナシー国(今のベナレス)であったのでした。

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