十七、「鹿野(ろくや)伽藍 一」

バラーナシー国の周囲は、四千余里、都城は西側がガンガー河に臨んでいて、長さは、十余里、広さは、五、六里で、ここには伽藍が三十余カ所、僧二千余人がいて、小乗一切有部(しょうじょういっさいうぶ)を学んでいたのでした。

バラーナシーからガンガー河を渡って東北へ十余里行くと、鹿野(ろくや)伽藍(鹿野苑、今のサルナート)であったのでした。

台観は雲に連なり、四方に長い廊下が連なっているのでした。
ここには僧侶一千五百人が住み、小乗正量部(しょうりょうぶ)を学んでいるのでした。
伽藍内には寺院があり、高さは、百余尺、石の階段や煉瓦(れんが)の仏龕(ぶつがん)の層数は百数階あり、仏龕にはみな黄金の仏像が浮き彫りにされてあるのでした。
内陣には真鍮製(しんちゅうせい)の仏像があり、この仏像は如来の等身大の大きさで、初転法輪(しょてんほうりん)の有様を映していたのでした。

寺院の東南には医師のストゥーパがあって、高さ、百余尺でアショカ王が建てたものであった。
その前に、高さ、七十余尺の石柱があったのですが、こここそが釈尊が初転法輪された場所なのでした。
そのそばにマイトレーヤ(梅怛麗、唐に慈氏という)菩薩が受記(仏がその弟子にしかじかの因縁により将来必ず菩提の果を得るであろうと予言すること)された所なのでした。

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