十九、「吠舎釐(ヴァイシャーリー)国」

吠舎釐(ヴァイシャーリー)国の周囲は、五千余里、土地は肥沃でマンゴーやバナナ(茂遮)(モーシャ)が多い所なのでした。
都城は荒れ果てていて、もとの都城は周囲、六、七十里もあったのですが、住民は甚だ少なすかったのでした。

宮城の西北、五、六里に一寺があり、そのそばにはストゥーパが建っているのでした。
ここは昔、釈尊が『毘摩羅詰(ヴィマラキールティ)経』(いわゆる『維摩経(ゆいまきょう)』)を説かれた所なのでした。
また、その東北、三、四里のストゥーパは、ヴィルマラキールティ(毘摩羅詰、すなわち維摩居士(ゆいまこじ))の邸跡を示すもので、その家は今も霊異が多いということでした。

この近くに石造りの一室があったのでしたが、ここはヴィマラキールティが病いを現わして説法した所なのでした。
そのそばにはヴィマラキールティの子、ラトナカーラ(宝積)の故宅(こたく)や、アームラパーティ(菴摩羅女)の故宅があったのでした。

次に、北方三、四里にストゥーパがあったのでした。
ここはまさに釈尊がクシナガラ国に赴いて涅槃し給わんとし、天人を従えて佇まれた所なのでした。
その西には、釈尊が最後にヴァイシャーリー国を見給うた所なのでした。
その南にはアームラパーリーがマンゴー園を釈尊に布施した所なのでした。
また、釈尊が涅槃を魔王に許された所なのでした。

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