二十、「摩掲陀(マガダ)国 一」

三蔵法師は、ヴァイシャーリー国の南境からガンガー河を去ること百余里で湿吠多補羅(シュヴェータプラ)城に至り、そこで『菩薩蔵経(ぼさつぞうきょう)』を購入したのでした。

ここからまた南方へガンガー河を渡ると、摩掲陀(マガダ)国に至ったのでした。
この国の周囲は五千余里で、人びとは学を尊び賢人を重んじているのでした。
伽藍は五十か所あまりあり、僧侶は一万余人で、その大部分は大乗学を学んでいるのでした。

ガンガー河の南側に故城があって、その周囲は七十里あまりで、今ではすっかり荒れ果てているのでありましたが、城壁上の副壁(ふくへき)はまだ残っているのでした。

いまから数万年前、ここは拘蘇摩補羅(クスマプラ)城(唐に香花宮城という)と呼ばれていたところなのでした。
王宮には花が多かったのでこのように呼んだということでした。
また、人寿(にんじゅ)数千年の時、さらに波●「口篇に屯」釐子(パータリプトラ)城と呼んだのですが、これはバータリ樹から名づけられたということでした。
釈尊の涅槃後百年でアショカ王(阿輸迦、唐に無憂王という)が現れたのでした。
王はすなわちビンビサーラ王(頻毘羅王、唐に影堅という)の曾孫で、王舎城から遷都してここへ来たのでした。

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