二十一、「摩掲陀(マガダ)国 二」

アショカ王の時代は遠い昔のことなので、今では遺跡が残っているのみなのでした。
かつては伽藍が数百あると言われていたのですが、今は、二、三しか残っていないのでした。

このもとの宮殿の北方、ガンガー河の岸辺に、千余戸の家を持つ小城があったのでした。
同じ方向には、高さ、数十尺の石柱があり、ここはアショカ王が地獄を作った所なのでした。
三蔵法師はこの小城に七日滞在して、仏跡を巡礼したのでした。
地獄の南に所謂アショカ王の八万四千塔の一大ストゥーパがあるのでした。
王は人力によってこれらすべてを建立(こんりゅう)したのでした。
ストゥーパの中には釈尊如来の舎利が一斗あり、それは常に神光を放っているのでした。

つぎに、寺院があって、内部に釈尊が履(ふ)んだ石(いわゆる仏足跡(ぶっそくせき))があったのでした。
石の上には釈尊の足跡があり、長さ、一尺八寸、広さ、六寸で、両足の下には千副輻輪相(せんぷくりんそう)(仏の三十二相の一つ)があり、十指の端には万字、花文(けもん)、瓶(びょう)、魚などがいづれもはっきりと見えるのでした。
この仏足跡は、如来がまさに涅槃に入ろうとされて、ヴァイシャーリーを出発して、この地に至り、河の南岸の大きな方形の岩の上に立ち、アーナンダを顧みて、

「こここそは私が最後の金剛座(こんごうざ)と王舎城(おうしゃじょう)を望んでとどまった後である」

といわれたときのものである。
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

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