二十二、「摩掲陀(マガダ)国 三」

この寺院の北に高さ、三十余尺の石柱があり、アショカ王を全インドを三度仏法僧(ぶっぽうそう)に施し、三度珍宝(ちんぽう)をもってこれを買い戻した事跡(じせき)を記しているのでした。

故城の東南に屈屈●「口篇に宅のウ冠を取ったもの」阿濫摩(クルクターラーマ)(唐に鶏園という)寺院の遺跡があったのでした。
これはアショカ王の造った寺で、千人の僧を召してもろもろの供養をした所なのでした。
三蔵法師は、これらの聖跡を七日間滞在してあまねく礼拝(らいはい)したのでした。
また、西南に六―七由旬(ゆじゅん)ゆくと底羅磔加(テイラシャーキヤ)寺に至ったのでした。
この寺には、三蔵が数十人いて、三蔵法師が来たことを聞いてみな出迎えにやってきたのでした。

ここから南方へ行くこと百余里で菩提樹(ぼだいじゅ)に至ったのでした。
樹の囲いは煉瓦を積み重ねたもので、極めて高く堅牢なもので、東西に長く南北にやや狭いものなのでした。
正門は東方に開いていて、ナイランジャナー河(尼連禅河)に対し、南門は大花池に接し、西は嶮しい丘に閉ざされ、北門は大伽藍(摩訶菩提僧伽藍、すなわち大覚寺)に通じていて、その中に聖跡が連接していて、あるいは寺院、あるいはストゥーパがあり、これらはみな諸王、大臣、富豪、長者が釈尊を慕って、競って造られたものであり、それぞれの名を今に残しているのでした。

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