三十一、「ナーランダー寺 二」

このナーランダー寺がある土地はもとアームラ長者の庭園でありましたが、五百人の商人が十億の金銭で買い取り、釈尊にほどことた土地なのでした。
釈尊はここで三か月間説法をし、多くの商人が果報を得たことを悟ったのでした。

仏涅槃の後、この国の先王シャクラーディトヤ(鑠迦羅阿僧迭多、唐に帝日という)は、釈尊を敬慕するあまり、ここに伽藍を造ったのでした。
王の没後、その子、仏陀毬多(ブッダグプタ)(唐に覚護という)は父王の宏業(こうぎょう)を受け継いで、その南方に伽藍を造ったのでした。
その子、怛他掲多(タターガタ)(唐に如来という)王は、さらに東に伽藍を造ったのでした。
そして、その子、婆羅阿迭多(バーラーデイトヤ)(唐に幼日という)王は東北方に伽藍を造ったのでした。
その次の王は中国から聖僧が赴いて、その寺院に供養されたのをみて、心から喜んで、自ら王位を捨てて出家したのでした。
その子、伐闍羅(ジジュラ)は位を継ぎ、また、北に伽藍を建てたのでした。
その後、中インドの王も、そばに伽藍を建てたのでした。

このように六人の皇帝がそれぞれ父王の偉業を受け継いで、伽藍を造営し、また、煉瓦で周りを囲み、合わせて一つの寺院にし、全てに一つの門を建て、庭園は別々にして内部は八院に分けたのでした。

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