三十三、「ナーランダー寺 四」

この寺内の講座は、毎日余百か所で開かれ、学僧たちは寸暇を惜しんで研学しているでした。

このように高徳の人びとがいるところでしたので、人びとの気風は自然と厳粛になり、この寺が建立されてから七百余年ににるのですが、未だかつて罪人は一人も出ていないということした。
国王もこの寺を篤く尊敬し、百余の村を荘園としてその寺に供養にあてているのでした。
荘園の二百戸から毎日、米や酥乳(そにゅう)数百石が進奉され、これによって学人は求めることなく四事(衣食寝薬)自足し、芸業(げいぎょう)を成就することが出来るのでした。
こうすることが可能なのもみな荘園のお蔭なのでした。

このようにして三蔵法師はナーランダー寺に安住することができたので王舎城(おうしゃじょう)へ赴いて聖跡を礼拝したのでした。
王舎旧城はかの地で矩奢羯羅補羅(クシャーグラプラ)城(唐に上茅宮城という)という。
城はマガダ国の中にあって、古代の君主の多くはその中に住んでいたということでした。
その地は、また非常に香りのいいし茅(ちがや)が生ずるので、そこでその名を取ったということです。
四方はみな山で、険しいところはあたかも削ったかのごときでした。
西に小道が通じていて、北方には大門があり、東西に長く南北に狭く、周囲は、百五十里余りあったのでした。

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