三十六、「ナーランダー寺 七」

カーランダ長者はその竹園に寺院を建て、自ら赴いて釈尊をお招きしたので、釈尊は長者の心に嘉(よみ)してこれを受け入れたのでした。

竹園の東にストゥーパがあり、これは阿闍多設咄路(アジャータシャトル)王(唐に未生怨という)の建てたものであった。
如来が涅槃されたのちに、諸王はともに舎利(しゃり)を分けたのでしたが、アジャータシャトル王もその一部を受け取って、それを持ち帰り、この塔を建てて供養したのでした。
のちのアショカ王は一念発起してあまねく各地に塔を作ろうとし、この塔下の舎利も取ったのでしたが、なお、少しばかり留め置いていたのでした。
この舎利は常に光明を放っていたのでした。

竹園の西南五、六里に山の側に竹林があったのでした。
中には大きな石室がありましたが、ここは尊者マハーカーシャパ(摩迦葉波)が九百九十九人の大阿羅漢(悟りを開いた真人(しんじん))とともに如来涅槃の後に、三蔵を結集した所なのでした。
いよいよ結集のときには、無数の聖衆(しょうじゅ)が雲の如く集まったのでした。迦葉(カーシャパ)は、

「皆さんの中でみずから三明(さんみょう)(過去未来の因相(いんそう)を知り煩悩を断絶できるもの)六通(六神通)の才をそなえ、釈尊の一切の法蔵をあやまりなく理解できる人はここに住(とど)まってください。それ以外の人はそれぞれの安住の地へ行ってください」

といい、九百九十九人を得たのであった。
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

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