四十、「王舎城(おうしゃじょう)」

そうしているところ、まもなく王宮で失火したのでした。すると王は、

「私は人主(じんしゅ)でありながら、みずから失火の罪を犯(おか)してしまった。もし私自身を罰(ばつ)しなければ、人民を懲(こ)らしめることはできない」

といって、太子に命じて国政をとらせ、王は寒林へ移った。
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

そのときに隣国のヴァイシャーリー王は、ビンビサーラ王が城外にキャンプしていると聞いて、兵を引き連れて襲撃しようとしたのでした。
しかし、スパイがこれを聞いて王に上奏(じょうそう)し、やむなく王は城壁を築いたのでした。
そして、王がここに舎(お)るので、王舎城(おうしゃじょう)と名付けたのでしたが、これがすなわち新城なのでした。
後のアジャータシャトル王が王位を継いでここに都し、アショカ王のとき、都をパータリプトラに移し、城をバラモンに与えてしまったのでした。
いま城中ににはただ千余戸のバラモンの家があるのみなのでした。
宮城内の西南隅にストゥーパがあり、ジョーティシュカ(殊底色迦、唐に星暦という)長者の故宅(こたく)であり、そばにはラーフラ(羅怙羅、すなわち仏の子である)を教化した所なのであった。

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