四十四、「さらにナーランダー寺にて」

三蔵法師は、ナーランダー寺で『瑜伽(ゆが)』を聴くこと三遍、『順正理論(じゅんしょうりろん)』は一遍、『顕揚(けんよう)』(顕揚聖教論頌の略)『対法(たいほう)』(阿毘達磨の訳)おのおの一遍、『因明(いんみょう)』『声明(しょうみょう)』『集量(しゅうりょう)』などの論はおのおの二遍、『中』『百』の二論はおのおの三遍づつ聴講したのでした。
『倶舎(くしゃ)』『婆沙(ばしゃ)』『六足阿毘曇(ろくそくあびどん)』などは、すでにカシュミーラ諸国で朝貢したことがあったので、これらの経典は疑問の点を尋ねるだけでよかったのでした。

三蔵法師はさらにバラモンの書も学んだのでした。
インドの梵王(ブラーフマン)の書は記論といわれていたのでした。
その作者と起源は知られていないのです。
これらの書はおのおのの却(カルパ)のはじめ、ブラーフマンが天人に伝授したもので、ブラーフマンが説くことなので梵書というのでした。
その言はきわめて広く百万頌(ひゃくまんじゅ)もあり、旧訳に『毘迦羅論(びからろん)』というものがこれに相当します。
しかし、その音は正しくはなく、正確には『ヴァーカラナ』(毘耶羯刺●「言偏に南」、文法書、声明記論の意)というべきです。
その意味は『声明記論(しょうみょうきろん)』で、広くもろもろの語法を細かく明らかにしているので『声明記論』というのでした。

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