四十五、「梵書(ブラーフマン)について 一」

昔、天地開闢のとき、ブラーフマンはまず説いて百万頌(ひゃくまんじゅ)を作っのでした。
後に住劫(じゅうこう)のはじめになって、帝釈天(たいしゃくてん)がこれを略して十万頌にしたのでした。
その後、北インドのガンダーラ国シャーラートゥラ(今のアトツク付近)の波膩尼(バーニニ)がまた略して八千頌としたのでした。
今インドに現に行われているものは、すなわち、これのことを指します。
近頃また南インドのバラモンが王のために略して二千五百頌として、この二千五百頌にしたものが盛んに流行しているのでした。
しかし、これはインドの博学の人は、学んでいないものなのです。

この梵書は同時に西域諸国の音字の本なのでした。
その細部は『記論略経(きろんりゃくきょう)』一千頌があり、また、字体に三百頌あり、また字縁(詞法)に二種類あるのでした。
一つは、間択迦(マンダカ)といい三千頌、二つは、温那地(ウナーデイ)と名付けて二千五百頌あり、これらはそれぞれ字縁と字体(語根)を論じたものなのでした。
また、『八界論(はっかいろん)』八百頌があって、その中には字縁・字体を略解しているのでした。
これらの記論が能動と受動を論ずるに二つの例があり、一つは、底彦多(テイナンタ)声(動詞変化)といって十八変化あり、二は蘇漫多(スバンタ)声(名詞変化)といって二十四変化あるのでした。

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