七、「鉢羅耶伽(プラガーヤ)国からコーシャンビー国」

三蔵法師は、阿耶穆●「りっしん篇に喬」(アーヤムカ)国からさらに東南方に七百余里進み、ガンガー河を渡ってヤムナ河の北岸にある鉢羅耶伽(プラガーヤ)国(中インド)に着いたのでした。

都城の西南にあるチャンパカ(瞻博迦、金色花の意)の林の中にアショカ王が造ったストゥーパがあるのでした。
ここは昔、釈尊が外道(げどう)を降伏させた所なのでした。
そのストゥーパのそばには伽藍があり、そこは提婆(ティーヴァ)菩薩(聖天の意)が『広百論(こうひゃくろん)』を作って症状を信じる外道を挫いた所なのでした。

大城の東方はガンガー河とヤムナ河が交わる所で、その西に祭場があり、周囲は、十四、五里余りで、土地は平坦でした。
ここは昔から諸王や豪族が慈悲をもって施しをするときにはみな来るという場所なのでした。
そこでここは整備されていて、大施場(だいせじょう)としているのでした。
今、ハルシャヴァルダナ王もこの伝統をしっかりと受け継いで、五年ごとに財を積んでは、七十五日間、ここで上は三宝(仏法僧)からしたは乞食まで、大布施を行うのでした。

ここから西南方へ行くとそこはジャングルで、猛獣や野象が非常に多くいるのでした。
三蔵法師は五百里ばかり行くとコーシャンビー国(中インド)に至ったのでした。

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