九、「ヴィシャ国から室羅伐悉底(シュラーヴァスティ)国へ」

三蔵法師は?賞弥(コーシャンビー)国から東方へ行くこと三百余里で、ヴィシャ国へ至ったのでした。
ここは二十余カ所、僧が三千人余りおり、小乗正量部(しょうりょうぶ)(三弥底部)を学んでいるのでした。
東南方へゆくと道の左側に大伽藍があったのでした。

ここは昔、デーヴァシャルマン(提婆設摩)阿羅漢(あらかん)が『識身足論(しきしんそくろん)』を作って我も他人もないと説き、ゴーパ(瞿波)が『聖教要実論(せいぎょうようじつろん)』を著して我も他人も存在すると説き、この見解の相違によって遂に深く論争を繰り広げたところであり、また、護法(ごほう)菩薩が七日間、小乗の論師百人を論破した所でもあったのでした。

そのそばにはまた、釈尊が六年間説法された所があったのでした。
そこにある高さ、七十余尺の樹は、昔、釈尊が楊枝(ようじ)を棄てた所で、そこから根が生えて繁茂した木であったのでした。
その木は異教徒が時々やってきて木を切ってしまうのであったのですが、その木は着るたびごとに生えて元の木のように繁茂するのでした。

このコーシャンビー国から東北へ行くこと五百余里で室羅伐悉底(シュラーヴァスティ)国に至ったのでした。

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