一、「瞻波(チャンパー)国」

三蔵法師はイリナパルヴァタ国からガンガー河の南岸に沿って東方に進むと三百余里で瞻波(チャンパー)国(駐インドの境)に着いたのでした。
ここには伽藍が十か所あり、僧侶は二百余人いて、みな小乗教を学んでいたのでした。

この国の城壁の煉瓦(れんが)は高さ、数丈(じょう)あり、基礎が深く入り込んでいてかなり堅固な造りをしていたのでした。
伝説によれば、昔、天地開闢(かいびゃく)のころの人は、みな地の穴に住んでいたのです。
のちにある天女が此の世に舞い降りて、ガンガー河に遊んで水浴していたとのことです。
そのときに、水霊が天女の体に触れて、四人の子を産んだとのことです。
彼らはそれぞれ瞻部(ジャンブ)州を分割統治し、互いに境界を分けて町を建設したのでした。
この瞻波(チャンパー)国は、そのうちの一人の都なのでした。

この国の南境数十由旬(ゆじゅん)には大きなジャングルがあって、そのジャングルは、鬱蒼として二百余里も続いていたのでした。
その間に野象がたくさん住んでいて、数百頭が群れをなしているのでした。
そのためにイリナパルヴァタ・チャンパーの二国には象軍が他の国に比べて最も多いのでした。
いつもこのジャングルの中に調教師を遣わせては像を捕らえ、させ、この国の乗用に充てているのでした。
また、ここには、豺(やまいぬ)、犀(さい)、黒豹(くろひょう)なども多く、敢えてこのジャングルに行くものなどいなかったのでした。

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