十、「カリンガ国、コーサラー国」

極めて人口の多かった羯両●「食の旧字篇に菱」伽(カリンガ)国の人びとは、一人の5通仙人をからかったことにより、仙人は大いに怒り悪呪(あくじゅ)によって国人(こくじん)を殺そうとして、そのたろに老いも若きも死んでしまったのでした。
その後、国民はあちこちから移り住んできたが、いまもなお充実していないのでした。

三蔵法師は、ここから西北へ行くこと千八百余里で、南●「りっしん篇に喬」薩羅(コーサラー)国(中インドの境)に着いたのでした。
その王のクシャトリヤ(刹帝利、四姓の第二階級)で、仏教を崇拝し学芸を好んだのでした。
ここには伽藍が百か所、僧徒が一万人いて、天神を祀る外道もすこぶる多いのでした。

城の南方のあまり遠くない所に、古い伽藍があり、傍らにストゥーパがあったのでした。
これもまたアショカ王が建てたものなのでした。
ここで、昔、釈尊が大きな奇蹟を行い、外道を降伏させたと言われているのでした。
その後、龍猛(ナーガルジュナ)菩薩(龍樹)がこの伽藍に滞在したことがあったとのことでした。

当時、この国の王は、シータヴァーハナ(娑多婆訶、唐に引正という)といい、龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)を厚く敬ってうやうやしく丁寧に持て成したということでした。

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