十五、「達羅毘荼(ドラヴイダ)国」

珠利耶(チョールヤ)国から南方へ大きな林を経て、千五百、六百里進むと、達羅毘荼(ドラヴイダ)国に至り、その大都城は建志補羅(カーンチープラ)というのでした。
カーンチープラ城はダルマパーラ(達磨波羅、唐に護法という)菩薩が生れたところなのでした。
菩薩は、この国の大臣の子で、幼少の頃より聡明であったのでした。
二十歳を過ぎると王は、その才能を愛し、自らの公王(むすめ)と結婚させようとしたのでした。
ところが菩薩は、永い間欲から離れることを修業し、女性を愛する心は少しもなかったのでした。

そこで結婚式の夕方には、特に煩悶したのでした。
そのために彼は仏像の前で、仏の加護を起請(きしょう)し、この難を逃れるようにお願いしたのでした。
すると、彼の至誠が仏に通じたようで大神主がやって来て、彼を背負い、城外数百里ある山寺の仏道に置いたのでした。
やがてこの寺の僧がやって来て、彼を見つけて盗賊だといったのでした。
そこで彼はみずから由来を詳しく語ったので、話を聞いた人々はみな驚いて、その高潔な志を重んぜぬ者はいなかったのでした。
そこで、彼はこの寺で出家したのでした。

その後はもっぱら正法(しょうほう)の研鑚に努め、ついによく諸部に精進(しょうじん)し、多くの著作を著したのでした。

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