十六、「シンハラ国の王の死」

ダルマパーラは『声明雑論(しょうみょうぞうろん)』二万五千頌を作り、また、『広百論(こうはゃくろん)』『唯識論(ゆいしきろん)』並びに、『因明(いんみょう)』数十部を著し、これらの書はいづれも盛んに広く読まれたのでした。
その徳深く才高きことは、別の伝記に明らかになっています。

カーンチープラ城は南インドの海港なのでした。
ここから僧伽羅(シンハラ)国(スリランカ)向かえば舟旅三日で行くことができる場所にあったのでした。
三蔵法師がまだこの達羅毘荼(ドラヴイダ)国を出発しないうちに、シンハラ国の王が死に、国内は飢饉に困窮して混乱しているとのことでした。
このため、大僧正(そうじょう)ポーデいメーゲーシュヴァラ(菩提迷祇湿伐羅、これは自在牙という)、アバーヤダンシュトラ(阿跋耶●「おおざと篇に登」瑟●「口篇に折」羅、これは無畏牙という)らをはじめ、三百人余りの僧がインドに遁れ、カーンチープラにやってきたのでした。
三蔵法師はかれらと会見して、次のように尋ねたのでした。

「伺うところによると、シンハラ国の大徳らは上座部の三蔵と『瑜伽論(ゆがろん)』をよく知っておられるとか。いま私はかの地へ行って勉強したいと思います。貴方はどうして此処に来られたのですか?」

「シンハラ国の国王がなくなられて、人民は飢饉に苦しみ、われわれも依存できる所がない。そこでわれわれは贍部洲(ジャンプー)が豊楽安穏(ほうらくあんのん)で釈尊の生まれた所であり、もろもろの聖跡も多いと聞いてやってきたのです。また法を知っている人びとは、私たちよりすぐれた人はいません。もし貴方が疑わしいところがあったら、同会のままに質問してください」
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

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