二十六、「摩訶刺侘(マハーラタ)国」

恭建那補羅(コーンカナプラ)国から西北方へ猛獣のすむジャングルを越えて二千四、五里を行くと、摩訶刺侘(マハーラタ)国(南インドの境)であったのでした。
この国の人びとは死を軽るんじていて、節義を重んじているのでした。
王は、クシャトリヤで、軍事を好み、その国は兵馬の制が整っていて、法令は厳命なのでした。
将軍は、敵と戦わせた場合、敗れて軍勢を失っても、損害は受けても刑罰は受けないのでした。
ただ、女性の服を賜(たまわ)って辱(はずか)めるのみなのでした。

しかし、そのために、その様になった人は恥辱を恥じて、多くは自殺をしてしまうのでした。
この国はつねに勇士数千人、暴象(ぼうぞう)数百を養い、いざ戦闘というときには、酒を多く飲ませて、まさに酔わんとしたときに、進軍の旗を振るのでした。
そこで勇士たちは大いに奮戦し、未だに敗れなかった相手はいないとのことでした。

そのために彼らは傲慢で、燐敵などものとも思っていないのでした。
戒日王(かいにちおう)は知略宏遠(ちりゃくこうえん)で軍勢も強勢なのでしたが、さすがにこの国は、いつも親しく征伐しても征服する事はあいかなわないことなのでした。

この国には伽藍が百余か所、僧徒が五千余人いて、大小乗を兼ねて学んでいるのでした。

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