二十七、「摩訶刺侘(マハーラタ)国、バールカツチヤバ国、マーラヴァ国」

摩訶刺侘(マハーラタ)国は、また、天神を祀ったり灰を塗る外道(げどう)もいるのでした。
大城の内外に五つのストゥーパがあり、みな高さ、数百尺で、これらはいずれも、過去四仏が遊行(ゆぎょう)された足跡を示すと言われ、これもまたアショカ王が建てたものなのでした。

ここから西北へゆくこと千余里、ナルマダー河(耐●「のぎ篇に末」陀)を渡って、跋禄羯●「口篇に占」婆(バールカツチヤバ)国(南インドの境)に至り、更に西北方へ二千余里で、摩●「肉づきに蝋の旁」婆(マーラヴァ)国(南羅羅国である。南インドの境)に至ったのでした。

この国は、風俗和(なご)やかで、学業と芸術を崇愛(すうあい)しているのでした。
五インドの中で、ただ西南のマーラヴァとマガダの二国のみは、学を好み賢人を尚(たっと)び、善く議論をして気品があると言われていたのでした。

この国には伽藍が百余か所、僧徒が二万余人いて、小乗正量部(しょうじょうしょうりょうぶ)の教えを学んでいるのでした。
また、ほかに灰を塗ったり天神に仕える外道(げどう)の衆がいるのでした。

伝説によれば、いまから六十年前に戒日(かいにち)(『西域記(さいいきき)』には尸羅阿迭多(シラーデイチヤ)とある)という王がいた。

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