二十八、マーラヴァ国の伝説」

戒日王は才高く博学で仁慈に心厚く、人民を愛し、三宝を崇敬(すうけい)した人なのでした。
はじめて王になってから崩御(ほうぎょ)されるまで、雑言(ぞうごん)を言わず、顔には怒りの色を表わすことなく、人民の心を傷付けず、蚊(か)や蟻(あり)まで殺したことはなかったのでした。

王は、象や馬に水を飲ませるときには、いつも漉(こ)してから飲ませたというのでした。
それは水中の虫の命を心配してのことなのでした。

王は、国民にも殺生(せっしょう)をを禁じたのでした。
このため野獣は人になつくようになり、犲狼(さいろう)は人に害をしないようになり、国内は、平安で、吉兆(きっちょう)は毎日あらわれたのでした。

王は美しく飾った精舎(しょうじゃ)を建て、過去、現在の七仏を造り、無遮(むしゃ)の大会(だいえ)を開いたのでした。
このようなすぐれた政治を行い、戒日王の在位五十余年のあいだ、少しもお怠ることはなかったのでした。
そのために、国民はいまでも王を慕っているのでした。

大城の西北二十余里にバラモン(ヒンズー教徒)の村があり、そのそばに陥没(かんぼつ)した穴があったのですが、これは大慢(だいまん)バラモンが大乗の悪口を言って、生身(なまみ)のまま地獄に入ったところなのでした。
このことは『西域記(さいいきき)』に記してあるのでした。

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