二十九、アタリ国、カッチャ国、伐蝋毘(ヴァラピー)国」

婆(マーラヴァ)国から西北へゆくこと二千四、五百里に阿●「口篇に宅のう冠をとったもの」釐(アタリ)国(南インドの境)に至るのでした。
この国には胡椒(こしょう)の樹があったのでした。
その樹葉は蜀(しょく)の胡椒に似ているのでした。
また薫陸香樹(くんろくこうじゅ)があって、その樹葉は中国の梨(なし)に似ていたのでした。

ここから西北へ三日ばかり行くと契●「口篇に宅のう冠をとったもの」(カッチャ)国(南インドの境)で、さらに北方へ千余里行くと伐蝋毘(ヴァラピー)国(南インドの境)であったのでした。
この国には伽藍が百か所、僧徒が六千余人いて、小乗正量部を学んでいるのでした。

如来が御在世の頃、しばしばこの国に遊ばれたといわれており、アショカ王は仏陀の至り給うた所に、碑文を建てたのでした。
今の王は、クシャトリヤでした。
彼は羯若鞠闍(カンヤークブジャ)国のシーラーデイトヤ王の女聟(おんなむこ)で、ドルヴァバッタ(杜魯婆跋●「口篇に宅のう冠をとったもの」、唐に帝冑という)というのでした。

その性格は、せっかちで姿も動作も落ち着きがないのでしたが、しかし、徳を貴び、学問を尚(たっと)び、三宝を信奉していたのでした。
王は毎年七日間の大会を設けて、諸国の僧を招き、上等の食物、珍宝、牀几(しょうぎ)、そして衣服を施し、薬品もことごとく用意したのでした。

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