三十、「阿難陀補羅(アーナンダプラ)国、スラーシュトラ国、瞿折羅(グルジャラ)国、烏闍衍那(ウッジャイニー)国、擲枳陀(てきした)国、摩醯湿伐羅補羅(マヘーシュヴァラプラ)国、阿点婆翅羅(アウドウムパチラ)国」

伐蝋毘(ヴァラピー)国から西北に行くこと七百余里で阿難陀補羅(アーナンダプラ)国(南インドの境)に至り、さらに西北へ五百余里で、蘇刺●「人篇に宅のう冠をとったもの」(スラーシュトラ)国(南インドの境)に至るのでした。
また、ここから東北に行くこと千八百余里で瞿折羅(グルジャラ)国に至り、東南に二千八百余里行くと、烏闍衍那(ウッジャイニー)国(南インドの境)に至るのでした。
この国からあまり遠くない所にストゥーパがあり、ここはアショカ王が地獄を作った所なのでした。

ここから東北へ千余里行くと擲枳陀(てきした)国(原音未詳、南インドの境)であり、さらに東北へ九百余里行くと摩醯湿伐羅補羅(マヘーシュヴァラプラ)国(中インドの境)に至るのでした。
そして、ここからまた西方へ向かってスラーシュトラ国へと三蔵法師は還ったのでした。

そして、三蔵法師は、この国からまた、西行(せいこう)して阿点婆翅羅(アウドウムパチラ)国(西インドの境)に至ったのでした。
ここは如来が御在世の頃、しきりに遊行された地であったのでした。
アショカ王は、その聖跡のある所全てにストーパを建てて、それらは三蔵法師が訪れたときはまだ、いずれも残っていたのでした。

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