三十一、「狼掲羅(ランガラ)国、波刺斯(パールサ)国、仏懍(フルム)国、西女(せいじょ)国、臂多勢羅(パーターシラ)国」

阿点婆翅羅(アウドウムパチラ)国から西方へ二千余里ゆくと、狼掲羅(ランガラ)国(西インドの境)なのであった。
この国は、大海にに近く、西女(せいじょ)国に向かう道であったのでした。

また、西方へ行くと波刺斯(パールサ)国(波斯、いまのイラン、北インドの境)であったのでした。
聞くところによりますと、その地には珍宝が多く、大綿、細掲(けおりもの)、善馬、駱駝を算出するというのであったのでした。
そこには、伽藍二、三か所に僧徒数百人がいて、小乗教の説一切有部を学んでいたのでした。
釈尊の仏鉢(ぶつばち)はこの王宮にあるということでした。
この国の東境に鶴秣城(かくまつじょう)があったのでした。

パールサ国は、また、仏懍(フルム)国(旧称大秦)に接しているのでした。
その西南の海島に西女国(詳細未詳)があり、人びとはみな女性で男性はいないのでした。
そこに産する珍貨(ちんか)は大部分フルム国に属しているのでした。
フルムの王は、毎年、男子を西女国に派遣して、女性を配するのでした。
この国では男子が産まれるととりあげられないということでした。

また、ランガラ国から東北へ行くこと七百余里で臂多勢羅(パーターシラ)国にインドの境至るのでした。

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