三十二、「臂多勢羅(パーターシラ)国、アヴァンダ国、信度(シンドゥ)国」

臂多勢羅(パーターシラ)国の城内に高さ、数百尺のストゥーパがあり、これもまた、アショカ王が建てたものなのでした。
中には舎利(しゃり)があり、ときどき光明を放っているということでした。
ここは如来が昔、仙人となって、国王のために殺された所なのでした。

臂多勢羅(パーターシラ)国から東北に行くこと三百余里で、阿●「参の三づくりが車」荼(アヴァンダ)国(西インドの境)があったのでした。
城の東北の大林の中には伽藍の遺跡があって、ここは昔、釈尊が、もろもろの僧に亟縛●「しかばねに徒」(きょくばくし)(唐に靴という)を履くことを許された所なのでした。
ここにもストゥーパがあり、アショカ王が建てたもので、そのそばにの精舎には青石の仏の立像があり、しばしば光明を放っているのでした。
さらに南方八百余歩の大林の中にもアショカ王が建てたストゥーパがあり、ここは昔、如来が泊まったとき、夜寒くて三枚の衣を重ね、翌日もろもろの僧に重ね着を許された所なのでした。

阿●「参の三づくりが車」荼(アヴァンダ)国からまた東方に七百余里行くと、信度(シンドゥ)国(西インドの境)に至るのでした。
この地方からは、金、銀、鍮石(ちゅうせき)、牛羊、駱駝、赤塩、白塩、黒塩などが産出し、他の地方の人びとはこれらの鉱物を問って薬にしているのでした。

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