三十三、「信度(シンドゥ)国、茂羅三部廬(モーラサンブル)国、鉢伐多(パルバタ)国」

信度(シンドゥ)国には、如来がご在世の頃、ときどき遊行した所なのでした。
そこで、この地の聖跡には、みなアショカ王がストゥーパを建て、碑文が刻んであるのでした。
その他にもウパグプタ(烏波●「毬の求が鞠の旁に、つまり、革を取ったもの」多)大阿羅漢(あらかん)が訪れた跡も残っているのでした。

ここからさらに九百余里行くと、シンドゥ河を渡って東岸の茂羅三部廬(モーラサンブル)国(西インドの境)に至るのでした。
ここの人びとは天神に仕え、その建物はなかなか立派なものなのでした。
その日天像は黄金の鋳造で、もろもろの雑宝で飾ってあり、諸国の人びとがたくさん祈願にやって来るのでした。
境内は、花壇や池が建物に接して美しく作られ、見物した人は皆口をそろえて美しいと感嘆するのでした。

ここから東北方へ行くこと、七百余里で、鉢伐多(パルバタ)国(北インドの境)に至るのでした。
城の側には大伽藍があり、僧侶百余人が全て大乗を学んでいるのでした。

ここは昔、ジナプトラ(慎那弗怛羅、唐に最勝子という)論師が『瑜伽師地釈論(ゆがしじしゃくろん)』を著した所で、また、賢愛(プハドラルチ)論師や徳光(グナブラバ)論師がもと出家した所なのでした。

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