三十四、「鉢伐多(パルバタ)国から摩掲陀(マガダ)国へ」

鉢伐多(パルバタ)国には、二、三の大徳がいて、ともに学業がすぐれていてために、三蔵法師はここに二年滞在して、それらの大徳から『根本阿毘達磨(こんぽんあびだつま)』『摂正法論(しょうしょうぼうろん)』『教実論(きょうじつろん)』などを学んだのでした。

その後、三蔵法師は、マガダ国のナーランダー寺に還り、正法蔵(しょうほうぞう)に参礼したのでした。
間もなく、三蔵法師は、ナーランダー寺の西三由旬の低羅鉢底(テいラダカ)寺に、プラジュニャバドラ(般若跋陀羅、智賢の意)という大徳がいて、彼は縛羅鉢底(バーラパテイ)国の人で、薩婆多部で出家し、その宗派の三蔵や声明(しょうみょう)、因明(いんみょう)に精通しているという話を聞いたのでした。
そこで三蔵法師はその地に二か月滞在して疑問を明らかにしたのでした。

それからまた三蔵法師は、杖林山(ヤステイヴアナ)(『西域記(さいいきき)』に王舎城外仏陀伐那山の東三十里と記す)居士(こじ)のジャヤセーナ(勝軍)論師の所に赴いたのでした。
ジャヤセーナはもとスラーシュトラ(蘇刺●「人篇に宅」)国の人で、クシャトリヤので出会ったのでした。
幼児から学問を好み、まずブハドラルチ論師について『因明(いんみょう)』を学び、また、安慧(あんね)菩薩によって『声明』や大小乗論を学び、さらに戒賢法師に従って『瑜伽論(ゆがろん)』を学んだのでした。

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