三十五、「ジャヤセーナ論師」

ジャヤセーナ(勝軍)論師はさらに仏典以外の四ヴェーダ、天文、地理、医学、数学に至るまで、それぞれ根本的に研究して末端まで極め尽さぬものはなかったのでした。
そこで学は内外の典籍に及び、徳は一世を風靡したのでした。

ときにマガダ国のプールヴァルマン(満冑)王は、賢人を尊び、人格者を重んじていたのでした。
王は、ジャヤセーナ論師の話を聞いて大変に悦んで、使者をジャヤセーナ論師に送って出迎え、国師にして二十の荘園(しょうえん)を与えようとしたのですが、論師は全くそれを受け付けなかったのでした。

プールヴァルマン王の死後、ハルシャヴァルダナ王(戒日王)はまた師となし、ウダ国の八十の大邑(だいゆう)(荘園)を封じようとしたのでしたが、論師は辞して受けることはなかったのでした。
王は再三要請しましたが、論師は全て固辞し、

「私は人の封禄(ほうろく)を受けると、その人のために心を労さねばならなくなると承(うけたまわ)っております。私はいま生死(しょうじ)の問題で苦しんでいる人びとを救おうとしているのです。とても王に仕える暇はありません」
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

と、言い終わると、一礼をし、さっさと引き上げてしまって、さすがに王も引き留めることは出来なかったのでした。

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