四十一、「シムハラシュミ、大いに恥じ入る」

三蔵法師がそのようにシムハラシュミを論破するのみなのにもかかわらず、シムハラシュミは悟ることはできずに、経論に一切の真性なく得ることはできぬとあるのをみて、

「瑜伽論でいう円成実(えんじょうじつ)などの考えもまた捨てるべきである。その所以(ゆえん)はつねに言葉に現われるからである」
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

といっていたのでした。

これに対して三蔵法師は、二宗の教えは決して相背かずといって、『会宗論(えしゅうろん)』三千頌(じゅ)を著したのでした。
三蔵法師がこの論を衆僧にみせると、これは素晴らしいと言わないものはなく、それとともに広く普及していったのでした。
シムハラシュミは大いに恥じ入り、ついにナーランダー寺を出て行ってしまったのでした。
彼は東インドの僧チャンドラシムハ(旃陀羅僧)という男に命じ、ナーランダー寺に赴いて三蔵法師と論争をさせ、前の恥をそそいでもらおうと思ったのでした。

しかし、その人はやってきたものの、三蔵法師の威をはばかって黙って何も言えず、返って三蔵法師の声望がますます高まったのでした。

師子光(シムハラシュミ)がまだナーランダー寺にいたころ、あるとき、ハルシャヴァルダナ王はナーランダー寺の側にブロンズの精舎を造ったのでした。

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