四十二、「ウダ国」

そのブロンズの精舎は、高さ、十丈以上あり、余りの素晴らしさに諸国で知らぬものはなかったのでした。

その後、ハルシャヴァルダナ王は恭御陀(コーンゴーダ)を征服し、ウダ国を通ったのでした。
ウダ国の僧侶はみな小乗を学び、大乗を信じなかったのでした。
そして、大乗を空華外道(くうげげどう)といって、釈尊が説いたものではないといっていたのでした。
そこへ、ハルシャヴァルダナ王がやって来たので、

「お聞きしたところによりますと、王はナーランダー寺のそばにブロンズの精舎を造り、それは非常に壮観だったそうですね。どうしてカパーリ(迦波釐 結髪の意)外道の寺に造らないで、あんな所に造ったのですか?」

と悪口をいった。

王は、

「ナーランダー寺の空華外道はカパーリと異ならぬからです」

と答えた。
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

ところがウダ国では、まえに南インドの王の灌頂師(かんじょうし)であるバラモン、般若●「毬の求が鞠の旁に、つまり、革を取ったもの」多(プラジュニャグプタ)という人が、正量部(しょうりょうぶ)の研究によって、『破大乗論』七百頌(じゅ)を作り、それを全ての小乗の人びとは、ことごとく尊重していたのでした。

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