四十六、「三蔵法師の論 一」

三蔵法師の論は次のようなものでした。

「餔多(プータ)外道(塗灰外道の一)・離繋(ニルグランタ)外道(ジャイナ教)・髏鬘(カバーリ)外道(迦波釐・殊徴伽(ジュテイカ)外道)(未詳、いづれも諸種の苦行を修法するインドの諸外道の呼称)の四種は、形態が同一ではない。また数論(サームクヒャ)外道(旧に僧法という、数に基づく論を基調とするインド六派哲学の一つ)・勝論(ヴァイシェーシカ)外道(旧に衛世師という、諸論に勝つ論の意。数論とともに二十種外道の一つ)の二派の主義も、それぞれ相違がある。
餔多(プータ)の輩(やから)は灰を身体に塗り、それで道を修めるといっている。その身体は全身真白で、まるで竈(かまど)にねている猫(ねこ)や狸(たぬき)のようである。また、離繋(ニルグランタ)の徒は裸体(らたい)になって得々としており、髪をぬいて苦行をするのを徳としているが、皮は裂け足は破れて、まるで川岸の枯木のようである。髏鬘(カバーリ)の人びとは骨で鬘(かつら)を作り、頭や頸(くび)にかけて得々としているが、そのむごい姿は墓場のそばに立つ鬼神・薬叉(ヤシャ)のようである。殊徴伽(ジュテイカ)の輩は糞(ふん)まみれの衣服をまとい、大小便を飲み食いして、その汚(きたな)く臭(くさ)いことは厠(かわや)の中の狂った豚(ぶた)のようである。貴方(あなた)たちはこれでもって修行の道としているが、なんという愚(おろ)かなことか」
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

このページの先頭へ