四十九、「三蔵法師の論 四」

三蔵法師はさらに続けて、

「もしそうでないとすれば、どうして三をとって、一切の法体とすることができようか。有智の人として、どうしてこのような義を立てるものがあろうか。また自性(じしょう)はつねに、我の同体のごときものであるという。
それではどうしてそれが転変して『大』などの法を作ることができようか。またそうすると我なるものの性が、つねに自性に応ずるような存在ならば、これはまさに我ではない。もし自性のように、その本体が我でないということになれば、二十四諦(たい)の義は受容できなくなるはずである。そして我という存在が受容すべきものでないとするならば、結局二十四諦の義もまた受容すべきものではないことになる。そしてそれらの功能も存在も否定しまえば、結局は諦の義は成立しないことになる」
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

このように三蔵法師は繰り返し数回述べましたが、かのバラモン(ヒンズー教徒)は黙然として一言も答えることなく、つと立ち上がると、

「私の敗(まけ)です。どうか前の約束どおり勝手に処分してください」
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

といったのでした。

しかし、三蔵法師は、

「われわれ釈門の弟子は決して人を害(そこ)なわない。いま私は汝(なんじ)を奴僕(ぬぼく)とすることにしよう。私の命令に従いなさい」
〈『玄奘三蔵』(講談社)からの引用〉

といったのでした。

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