五、「カジャンガラ国、奔那伐弾那(プールナヴァルダナ)国、羯羅拏蘇伐那(カルナスヴァルナ)国」

ここ、瞻波(チャンパー)国から東行すること四百余里で、羯朱●「口篇に慍の旁」祇羅(カジャンガラ)国(中インドの境)へ至ったのでした。
そして、三蔵法師は聖跡を巡礼したのでした。

ここには伽藍が六、七か所あって、僧徒が三百余人いたのでした。
三蔵法師はさらにここから東方へガンガー河を渡り六百余里進んで奔那伐弾那(プールナヴァルダナ)国(南インドの境)に至り、聖跡を巡礼したのでした。

ここには伽藍が二十余か所あり僧が三千余人いて、大・小乗をともに学んでいるのでした。

都城の西二十余里にヴァシバー(跋始婆)伽藍があり、寺院の造りは高大で、僧侶が七百人いたのでした。
そのそばにはアショカ王が建てたストゥーパがあり、ここは昔、如来がやって来て、三か月間説法された所であると言われていて、ときに光明を放っているのでした。
また、過去四仏がやってきた跡があり、そのそばの寺院の中には観自在菩薩(かんじざいぼさつ)の像が安置され、真心を込めて祈願すれば、かなわぬ願いはないと言われているのでした。

三蔵法師は、この奔那伐弾那(プールナヴァルダナ)国から東南へ行くこと九百余里で、羯羅拏蘇伐那(カルナスヴァルナ)国(東インドの境)に至ったのでした。

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