一、生い立ち

その苦難の旅は『孫悟空』としても親しまれ、しかし、その実、たった一人で天竺への旅を成し遂げ、また、仏教の原典を漢訳に翻訳し漢訳仏教として仏教を広めた不世出の名僧、玄奘三蔵のその名は、中国以外の国でもつとに有名で中国法相宗(ほうそうしゅう)の開祖でもあります。

この長い記事は、玄奘三蔵の数ある伝記の中で最も正確で詳細とされている『大唐大慈恩寺三蔵法師伝(だいとうだいじおんじさんぞうほうしでん)』(慧立(えりゅう)、彦●「りっしん偏に宗」(げんそう)箋、十巻。以下、『慈恩伝』と記します)の前半第一~五巻の現代語訳です。

波乱万丈の玄奘三蔵の天竺への旅の全貌は、この記事を読めばお解りと思いますが、以下に、玄奘三蔵の生涯とその類稀なる業績を簡単に記しておきたいと思います。

玄奘三蔵は、河南省陳留県の人で、俗性は陳(ちん)、諱(いみな)は●「ころも偏に緯の旁」(き)といいます。
父の名は慧(え)といい、その子に四人の男の子がいて、玄奘三蔵は末っ子でした。

玄奘三蔵の生没年には諸説ありますが、六〇二―六六四年)(隋・仁寿二―唐・麟徳一)が正しいものです。
玄奘三蔵は幼少のころよりその聡明さは知られていました。

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