十一、活(かつ)国

玄奘三蔵は、トクマク付近の西突厥の王庭から、タラス、タシュケント、サマルカンドを結ぶ西トルキスタンと天山北路を結ぶ公道を一路西進したのでした。
さらにサマルカンドからは、シャフリ・サブズを経てトハラ地方とソグド地方の境界である鉄門を通過したのでした。

ここは現在、自動車道路に拡張されていますが、部分的には今も狭い峡谷の道が残っています。

鉄門を過ぎると間もなくテルネズで、ここからアム・ダリヤを渡って活(かつ)国(現在のクンドゥス)に至ったのでした。
活国はアフガニスタン地方を統治する西突厥の総本部で、ここには葉護可汗(ヤプクカガン)の長男、●「口篇に旦」度設(たんとシャド)が駐在し、彼は高昌国王の妹の婿なのでした。

ところが、玄奘三蔵が到着したころは、公主の可賀敦(かがとん)は既に病死していて、●「口篇に旦」度設も病気にかかっていたのでした。
彼は玄奘三蔵から高昌王の手紙をもらい、左右の男女と嗚咽して感動したということです。
まもなく●「口篇に旦」度設はうら若い王妃を娶(めと)るのでしたが、彼女は追うの長男に頼まれ、薬を盛ってその夫を殺してしまったのでした。

その長男は設(シャド)になり、若い王妃を自分の妻にしてしまったのです。

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